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      <title>クロアチアマジック</title>
      <link>http://mrluna.com/</link>
      <description>マジック始めるよ！</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>評価と追試</title>
         <description>

初期の段階から、ゴークランは、評価のため、他の科学者へ自分の結果を送った。


評言することのできるだけの人はほとんどいなかった。


ごく最近になって、研究者たちは自分自身の研究を始めたにすぎない。


しかし、ベルギーには、いわゆる既得の知識では説明できない現象の科学研究委員会(略称してパラ委員会)として知られている、三十名の天文学者、人口統計学者、統計家、その他の科学者のチームがあります。


彼らのはっきりした目的は、既得の知識では説明できない現象の存在を支持するもので山`6ると主張されている証拠を検討することです。


彼らのモットーは「アプリオリには何ごとも否定しない。


証拠がなければ何ごとも肯定しない」です。


実際には、彼らはふつう、彼らが研究した主張を立証するよりもむしろこきおろすほうが可能でした。

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         <pubDate>Thu, 16 Feb 2012 13:08:19 +0900</pubDate>
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         <title>誘発分娩</title>
         <description>誘発分娩はゴークランの指標が適用されないことを意味するけれども、子どもの人格と将来とが、占星家により準備されたチャートと無関係であることにはなりません。


もしそれらの他の要因が働くのであれば、それらは出産の誘発によって影響されないかもしれない。


この点は、当然、ほとんどの出産が「診察時間」中に起こるように誘発されるならば、占星術の将来全体にとってきわめて重要になります。


経験的研究だけが、このことを解決することができます。


ゴークランは、自分の研究結果がだれかの将来を予測するのに、ほとんど使用されないことを認めています。


遺伝効果は別にして、惑星相関は卓越した人にしか適用されないので、われわれは、それがだれかに適用されるかどうかを知りうるまえに、その人が卓越した人になるまで待たなければなりません。


それでは、その人のキャリアを予測するにはあまりにもおそすぎる。

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         <pubDate>Sun, 15 Jan 2012 13:07:30 +0900</pubDate>
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         <title>研究結果の意味</title>
         <description>
ゴークランは彼の研究結果の意味を指摘しています。


たとえば、惑星は、出産のタイミングに影響するかもしれないので、赤ちゃんの生まれつきの性格の型を示すのに役だつかもしれない。


しかし惑星は他の点ではその運命に影響しない。


このことは、もちろん、子どもの出産時における惑星の位置がそのときから引き続き、その幸運と相関するという占星家の見解に反しています。


したがって、占星家にとっては、自然分娩か誘発分娩かということは問題にならない。


もしある人があるときに生まれるように運命づけられているならば、その運命はそれが何を意味しようと、充足されるでしょう。


そして誕生チャートが妥当づけられるでしょう。


ゴークランの研究結果は、この時点で必ずしも占星術の間違っていることを証明することにはならない。


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         <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 13:07:11 +0900</pubDate>
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         <title>フランスの数学者</title>
         <description>フランスの数学者ラプラスによると、「証明の重みは事実の奇妙さにふさわしいものでなければならない」。


この原理に刺激されて、ゴークラン夫妻は遺伝に関する彼らの結果を追試する必要のあることを認めた。


彼らは、それぞれ、1万5千以上のカップルとその子どもたちを含む新しい二つの標本でこのことを行った(ほとんどの追試とは異なり、標本の大きさが減少するよりも増加したことに注目されたい)。


再び、その効果は、親の性とは無関係であり、もし両親が同じ惑星遺伝をもっていると、その強さはまし、その効果は子どもの分娩が誘発されたものであると消失し、地球磁気活動が乱されると、その効果は増すことが示されました。

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         <pubDate>Wed, 23 Nov 2011 13:06:50 +0900</pubDate>
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         <title>心に残る場所　８</title>
         <description>記念館から北東へ約2kmの所、札幌扇状地の伏流水を源にもつ伏籠川の流域丘珠あたりは、札幌市内でも古くから開墾の鍬が入った所です。


丘珠のタマネギは全国的に名の知られた名産品だが、近年の人口増加による宅地化の波には勝てず、だんだんとその範囲を小さくしています。


またこの地域には丘珠獅子舞・篠路獅子舞・篠路歌舞伎など農村郷土芸能が根強く伝えられています。


先に大友堀についてふれたが、1867(慶応3)年、大友亀太郎が開墾の鍬を入れたのが現在の東区の南方であり、その耕地はお手作場と称し、大豆・アズキ・アワ・ヒエ・ジャガイモ・大根などがつくられました。


その用水路として大友堀がつくられたのであり、近くの本龍寺(日蓮宗)には札幌村創建百年碑が立っています。


また、東区北13条東16丁目には札幌村郷土記念館もでき、当時のようすを知る史料が展示されています。


幕末に豊平川の渡守りをしていた志村鉄一・吉田茂八らをたたえて、豊平橋の両岸たもとには記念碑が立っています。
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         <pubDate>Fri, 28 Oct 2011 16:24:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心に残る場所　７</title>
         <description>旧永山邸の並びにサッポロファクトリーがあります。


これが1876(明治9)年創設の旧開拓使麦酒醸造所のあった所です。


わたしたちの国最初の官営ビール醸造所のスタートは、開拓使御雇外国人トーマス・アンチセルや開拓使顧問ケプロンの勧めによるものでした。


道内に野生のホップがあり、その栽培に両者ともに目をむけたのです。


当時のビール製造の苦労とその歴史は、東区北7条東8丁目にある第二工場の開拓使麦酒記念館を訪れるとよくわかります。


その歴史もまた興味深いものでした。



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         <link>http://mrluna.com/2011/09/post_42.html</link>
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         <pubDate>Wed, 28 Sep 2011 16:23:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心に残る場所　６</title>
         <description>旧永山邸の並びにサッポロファクトリーがあります。


これが1876(明治9)年創設の旧開拓使麦酒醸造所のあった所です。


わたしたちの国最初の官営ビール醸造所のスタートは、開拓使御雇外国人トーマス・アンチセルや開拓使顧問ケプロンの勧めによるものでした。


道内に野生のホップがあり、その栽培に両者ともに目をむけたのです。


当時のビール製造の苦労とその歴史は、東区北7条東8丁目にある第二工場の開拓使麦酒記念館を訪れるとよくわかります。


その歴史もまた興味深いものでした。



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         <link>http://mrluna.com/2011/08/post_43.html</link>
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         <pubDate>Sun, 28 Aug 2011 16:23:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心に残る場所　５</title>
         <description>地下鉄バスセンター前駅から北に300mほど進むと、サッポロビール第一工場が見えます。


その東側に庭園の広い和洋折衷の旧永山武四郎邸(道有民)があります。


主屋の屋根は寄棟造、木造下見板張り、外壁下部は竪羽目です。


主屋内部は主人の居間のほか15畳の洋風応接室・和風表座敷・ホール・脇座敷・小座敷があり、永山の私邸として1880(明治13)年前後に建築されたと推定されます。


永山は薩摩藩の出身、開拓長官黒田清隆の腹心で.ユ872年開拓使出仕となり、1875年准陸軍少佐を兼ねて屯田兵幕僚、1878年屯田局副長、1885年陸軍少将・屯田本部長、また1888～91年は北海道庁官を兼任。


この間屯田兵司令官となり、さらに1894年には初代第七師団長・陸軍中将となり、屯田兵育ての親といわれました。


旭川に銅像が立てられ、永山屯田兵村に名を冠せられたが、永山村はのちに旭川市に合併されます。


男爵・貴族院議員になり1904(明治37)年東京で死去しています。

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         <pubDate>Thu, 28 Jul 2011 16:23:49 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>心に残る場所　４</title>
         <description>JR新琴似駅、地下鉄南北線麻生駅から徒歩5分ほどの新琴似神社のかたわらに、2階建の新琴似屯田兵中隊本部が保存され、内部に農具・簿書類が展示されています。


屯田兵は「兵農相兼」の、士族授産の意味もあったが、1890年の改正で翌年からは平民も募集し、以前を士族屯田、以後を平民屯田とよぶ。


1兵村1個中隊に編成され、1899年までに全道に37兵村(士族13・平民24)、計7337戸が設置されました。


軍事訓練があり、生活・農耕も軍隊式でした。


密居兵村は軍事には優れても農耕に不便で、のちには散村形式が多くなりました。

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         <pubDate>Tue, 28 Jun 2011 16:23:37 +0900</pubDate>
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         <title>心に残る場所　３</title>
         <description>琴似兵村は最初198戸、翌1876(明治9)年発寒村への入植とあわせて240戸となります。


同年に札幌南方の山鼻村の屯田兵屋は、石山通りを中央に東屯田通り、西屯田通りにわかれて240戸並列、1列1500坪(4950m`)の短冊型の区画に接続して200坪の宅地があります。


琴似・山鼻の屯田兵は、おもに道内・東北の士族から募集されました。


なお、琴似屯田の北方、新琴似に1887(明治20)年・1888年、その北に防風林をへだてて篠路屯田が1889年に入植しました。

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         <link>http://mrluna.com/2011/05/post_39.html</link>
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         <pubDate>Wed, 25 May 2011 16:23:22 +0900</pubDate>
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         <title>心に残る場所　２</title>
         <description>軍務と開拓の労働は厳しく『北海道開拓精神の形成ご(榎本守恵著)によれば「屯田兵と囚人とは、名誉と汚名の違いがあり、程度の差はあるが、ともに検束労力である」と指摘されています。


先人の労や思うばかりです。


初めは暖房つきの計画だったが、予算不足で炉になり、その煙出し小窓を屋根につけました。


そのため天井板は畳間の上しかない。


この復元兵屋の南東、西区役所と中央道路を挟んだ旧兵村養蚕室跡に建てられた琴似神社境内に、より古いままの琴似屯田兵屋(道有形)が保存されています。


どちらにも当時の農具類が展示され、昔の屯田兵の生活をしのぶことができます。


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         <link>http://mrluna.com/2011/04/post_38.html</link>
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         <pubDate>Fri, 15 Apr 2011 16:23:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心に残る場所　１</title>
         <description>地下鉄東西線円山公園駅から三つめの琴似駅で降ります。


この駅の北、JR琴似駅から西、琴似本通りを中心に旧国道5号線までは、今は繁華街だが、ここは1875(明治8)年入植の最初の屯田兵村でした。


南北50問ごとに5本、東西30問ごとに6本の道路で区画され、東西20戸ずつ、北端に8戸計208戸が整然と並び、典型的な密居制で1戸の敷地150坪のこの琴似屯田兵村兵屋跡(国史跡)には、琴似2条5丁目に復元兵屋があります。


柾葺切妻造の土壁で、下見板・武者窓形式、内部は3分され、屯田兵制度は、明治初期の北方の警備と、北海道の開拓を兼ねて設けられており、道内各地に37の中隊が配置され、その戸数7337戸、家族をあわせると3万9900人余の多数でした。


現地では兵村計画が立てられ、適格者は現地までの旅費・仕度金・3年間食糧塩菜料などが支給され、1戸当り約5町歩と同じ面積の共有地が支給されました。


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         <pubDate>Tue, 08 Mar 2011 16:22:03 +0900</pubDate>
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         <title>社会に学べ～　その７</title>
         <description>周囲の人間に手助けしてあげることがあるとすれば、その人が飛ぶのを邪魔している重しを取り除いてあげることだけです。


それが、環境を整えてあげるということでしょう。


たとえば彼は、新しい部下を持ったときに、「いま困っていることを三つ言いなさい」と相手の悩みを聞くようにしていました。


仕事のことであれ、プライベートな問題であれ、悩みというのは最大の「重し」です。


だから、それをできるだけ取り除くように配慮する。


そうすれば、本人の能力を少しでも多く引き出せると思ったのです。


ともあれ、いろいろな意味で環境を整えてあげるのが、上司の部下に対する責任であることは間違いないでしょう。
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         <pubDate>Tue, 08 Feb 2011 17:31:50 +0900</pubDate>
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         <title>社会に学べ～　その６</title>
         <description>まずは、満足感を高める環境に整えることです。


人間の能力は、その人が置かれた環境に大きく左右されるものです。


潜在能力は高くても、それがいつでも必ず顕在化するとは限りません。


環境によってすばらしい能力が引き出されることもあれば、せっかくの能力が潰されることもある。


ですから、人が仕事で行き詰まっているときや、伸び悩んでいるときは、その人自身の能力を問題にする前に、周囲の環境に問題がないかどうかを考えるべきでしょう。


彼は以前から、「人間とは熱気球のようなものだ」と考えており、これまでも著書の中でそのように書いてきました。


熱気球は自力で空高く上昇しようとしますが、重しがついていると飛び立てません。


人間も同じで、他人に「飛べ」と言われなくても、自分で上昇しようとする能力と意志を持っているものです。
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         <pubDate>Thu, 20 Jan 2011 17:31:39 +0900</pubDate>
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         <title>社会に学べ～　その５</title>
         <description>上司一人のオリジナリティには、限界があるものです。


同じ問題を考えるにしても、部下が自分の頭で情報を分析すれぼ、上司とはまるで違った角度から解決策が見つかるかもしれません。


ともかく、自分一人の見方や考え方が絶対に正しいなどと思わないこと。


どんなに稚拙な提案でも、自分には気づくことのできないポイントがあるかもしれない。


そう思えば、提案を持ってくる部下を大切にしないわけにはいかないのではないでしょうか。


時代の変化に敏感であるためには、いろいろな意味で柔軟性が求められます。


部下の提案をよく吟味もせずにはねつけるような頑固さを持っていたのでは、身の回りの変化にすばやく反応することはできません。


それまでの「常識」にとらわれない柔軟性を持っていたからこそ、ナポレオンは下水道建設という提案を受け入れ、それを実行に移すことができたのです。</description>
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         <pubDate>Sat, 08 Jan 2011 17:31:26 +0900</pubDate>
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